under-pass meets Tokyo Day 1
企画と作曲で関わっているコンサート “under-pass meets Tokyo” まであと4日です。コンサートの内容を少しでもお伝えできればと思い、作曲した新作 “Neither Silence nor Speech” のプログラムノートを一足先に公開します。
プログラムノート
under-passはたくさんミーティングをする。本題について熱心に議論することもあれば、何時間も雑談だけで終わることもある。ある日 (どのような文脈か忘れてしまったが) 樋口さんとの何気ない会話の中で、ふとジョン・ケージとは丸ノ内線であると思った。
私は普段、丸ノ内線で通勤する会社員でもある。満員電車ではお互いに干渉しないことがマナーであり、みんな同じ方向を向き必要以上に他人へ関心を向けない、その距離感が都市生活を成立させている。ケージが「ただ音が音として在る」という発想で音を既存の意味や役割から解放したとき、それは音楽における匿名の個人の肯定でもあったのではないか。誰の息子でも、誰の隣人でもない、満員電車に揺られる私たちのような…(ケージは禅やソローなどに着想を得て発想を展開していったが、その音楽は結果として、ニューヨーカーの都市感覚を音の形式として引き受けているようにも思う)。
音同士が緊密に関係しあう古典的な音楽の在り方が「向こう三軒両隣」だとすると、それは裏を返せば窮屈さと地続きでもある。ケージはここから音を軽やかに開放した。しかし、互いに関心を寄せない社会は窮屈さは薄まるが、孤立した人や困っている人をそのまま取り残してしまう、見えなくしてしまう。そこで本作では、演奏会テーマの一つである「ケア」を、「関心を寄せすぎず、それでも必要なときには手を伸ばせる距離感」として考えてみたいと思った。
この考えから、本作では従来の五線譜とは少し異なる記譜法を採用している。音高は通常どおり記されているが、拍子やテンポによって時間を管理するのではなく、演奏者同士が互いの音や呼吸を聴きながら、その場で時間を形づくっていく。全員が同じ拍子やテンポに従うわけでもなく、それぞれが完全に独立して演奏するわけでもない。互いの存在に耳を澄ませながら、必要なときに相手の音に応答する。その関係性自体が、この作品におけるケアの実践になればと考えている。
この記譜法にはもう一つ実践的な理由がある。近年ジャンルを問わず、多くの優れた音楽家と出会う機会があった。しかし自分の音楽を既存の記譜法で記そうとすると、ある程度複雑な譜面を読めることが、一緒に音楽を創造するための前提条件になってしまう。そのことに以前からすこし違和感を覚えていた。この作品で試みた記譜法は、より多くの人と一緒に音楽を創造するための一つの提案でもある。
under-passはほんとに良く話し合いをするコレクティブです。みんなで共有してきた問題意識や一緒に読んだ本が、自然と表現へとつながっていく感覚があります。しかし、それは問題提議や意見の代理表象ではなく、考えることを通じた生きた実践の中から音が立ち上がってくる営みでした。だからこそ、みなさんと同じ場所で同じ時間を過ごして、耳を澄ませながら、各々に立ち上がるものを一緒に考え続けられたら嬉しいです。
under-pass meets Tokyo Day 1 演奏会:脱植民地化・連帯・ケアのために
2026年8月12日(水)開場18:00 / 開演18:30
会場: トーキョーコンサーツ・ラボ
音楽をきっかけに、脱植民地化・連帯・ケアについてともに考える夜。under-passメンバーによる新作初演と、終演後のアフタートークを行います。



